石濱匡雄 (ISHIHAMA TADAO)
(北インド宮廷音楽家、北インド民族楽器シタール演奏家)
1979年大阪生まれ。5歳の時より洋画家の故・浜田清氏の下で洋画を習い始め、その後、橿原学院高校美術科・奈良芸術短期大学では陶芸を専攻し、同校卒業。
弱冠15歳でシタール演奏家の田中峰彦氏の下でシタールを習い始め、97年初渡印。その後も数回の渡印を重ね、99年よりラヴィ・シャンカールの活躍でも有名なマイハール流派の巨匠パンディット・モノジ・シャンカール氏に師事。
2000年よりインド東部コルカタ(旧カルカッタ)に移住し、在印中は師の下で研修を積む一方、現地で数々のコンサートも行い2001年に現地の人気ベンガル語放送局etvbanglaにも出演を果たすなど、自由な発想と企画性に基づいた数々の公演は好評を得る。また2001年より北東インドマニプール州の古典舞踊マニプリをカラヴァティ・デヴィ女史に師事。
2003年4月インドより帰国。日本国内で本格的に演奏活動を開始する。
2004年8月、インド総領事館主催のイベント「第58回インド独立記念日~INDIAN MUSIC & DANCE FESTIVAL~」に出演し、総領事や各方面から好評を得る。同年10月にはM.O.PよりリリースされたコンピレーションCD「cocido」に、北インドと西アフリカの楽器で構成されたユニット世GREEN界で参加。同アルバムは大手レコード店のチャートにも入り、後にミュージック・マガジン誌の2004年度CD100選にも選ばれる。
2005年、バンコクで毎年行われているタイ最大規模の野外フェス「Fat Festival」に出演。そして同年12月には、ヒンドゥー教4大聖地の1つでマイハール流派の重要な聖地でもある北インドUP州ヴリンダーヴァンにて行われたスワミ・ハリダース聖誕祭に外国人として初めて出演、その公演の様子は現地メディアでも紹介され話題となる。
2006年9月、コートニー・パインやLondon PosseのプロデューサーなどUK HIP-HOP界で古くから活躍する重鎮Sparkiiと、A Hundred BirdsのVocalとしても知られるSugamiと共に作品を共作、大阪と京都で2公演を行い、後にこのメンバーでGlocaL NeWzを結成。
2007年10月、韓国ソウルの世宗文化会館にて行われたコンサートでソウル国楽管弦楽団と共演。同年11月には日印交流年で来日した、インドの人間国宝でボリジョイバレエの振付師としても知られる世界的な舞踊家、アスタッド・デブー氏と共演。
2008年5月にはソウルオリンピック音楽監督や李明博大統領就任式実行委員長も勤めた韓国の作曲家、朴範薫氏と韓国で共演。そして同年11月同じく朴氏の指揮の下韓国国立中央劇場で行われた韓国建国60周年記念コンサートでは尺八の三橋貴風氏、二胡のヤン・ジェミン女史などアジア各国の最高峰の演奏家をソリストに迎えたオーケストラアジア(韓国中央国楽管弦楽団、中国歌劇舞劇院民族楽団、ORA JAPANによって構成される総勢80人前後のオーケストラ) のコンサートでソリストとして出演。公演の様子は現地メディアでも大きく取り上げられる。
同年、世界的なファッションブランド「エルメス」が「眩惑のインド」をテーマに作品を展開し、京都、神戸、大阪、名古屋の4都市で開かれた同ブランド主催のイベントにて演奏するなど、その活動は多肢に及びぶ。
2010年コルカタの現地レーベルより初のソロアルバムを製作、そして同年パーカッショニスト横沢道治とのユニット「タダオと横沢」でアルバムを日本国内リリース。
近年はブロードウェイの人気ミュージカルSTOMPのキース・ミドルトンとの共演 、ダリル・ジョーンズやロバート・アーヴィング3世率いるマイルス・エレクトリックバンドの来日公演にシタール奏者として参加するなど、古典音楽のみならずシタールの新たな可能性を打ち出している。
2018年には初のニューヨーク公演を成功に収め、初のラジオ番組「シタール奏者・石濱匡雄のカレーだけじゃないインド」もMBS毎日放送より不定期放送中。また、インド在住経験を生かし現地の家庭料理のレシピを紹介した初の著書「ベンガル料理はおいしい(著者:石濱匡雄 監修:U-zhaan)」も6月にリリースし、料理家としての側面も持ち合わせている。